日経エリートコンサルタントと医学生の備忘録

米国臨床留学を目指す医学生と日経総合コンサルファームのエリートリーマンが己の道で成り上がり、最強になるまでの軌跡

何かを成し遂げるために崇高な目的は必要なのか

ビジョンが曖昧だ。

明確な動機が見えない。

結局なぜそれがしたいのか。

具体的な理由はないのか。

 

 

多くの人は自分の行動に理由をつけたがる。

そしてそれと同じくらい、他人はあなたの行動に理由を求める。

 

そうして形のない自分の”本当の気持ち”とやらを探していくうちに、俺たちは度々迷子になってしまう。

 

無理もない。

 

若くしてたいそうな経験を積み、その原体験から生じた気持ちを確固たるものにして、明確な行動に移せる人が一体どれだけいると言うのだろうか。

 

他人に問われた時、理路整然と自分の行いの全てに理由をつけ、具体的に語ることができる人が、一体どれだけいるのか。

 

 

もちろん、それが理想なのは十分わかっている。

強い信念を持って、具体的にこうしたい、そしてそのためにはこれをしなければならない。

だから私は今これに力を注いでいるのだ。

 

そうやって自分の行いに正当かつ具体的な理由をつけて語れたら、それは素晴らしいことだと思う。

だがこれはあくまで、それが本心から出る言葉なら、という前提が必要だ。

 

それっぽく妥当な理由を作り、目的意識を持ってやっていると、そう語るのは可能であるし、誰だってできる。

現に日本の就活現場ではそうした上っ面の”目的意識”を並べた学生がたくさんいる。

 

 

本当に、心のそこからそんな風に思っているのか。

 

彼らが口にする整いすぎた行動の理由づけに、おれは時々違和感を感じてしまう。

 

 

では具体的な動機、他人を気持ちよく納得させてあげられるほどの筋の通った理由がなければ、おれたちは何かを目指したり、取り組んだりしてはいけないのか。

 

これも否、そんなことはないと思う。

 

あなたが今何かに向けて努力を重ねているのは、目指す理想があり、成し遂げたいと思うゴールがあるからだ。

その気持ちだけは本当だから、それが行動となって現れているはずなんだ。

 

そうした憧れに駆り立てられ、何かに取り組み、行動に移すことが無意味な訳が無い。

それを止める権利は、他の誰にもない。

 

漠然とした憧れがあって、上手く説明できなくとも、とにかくそこを目指したいのだけはハッキリしている。

何かに向けて努力する理由なんてそれで十分なのではないだろうか。

 

そもそも誰だって最初はそうした小さな興味、曖昧な憧れ、そうしたものから始まったはずなんだ。

 

成功者たちは、最初から崇高な目的を持って物事に取り組み、描いた理想を形にしてきたのだと、端からみるとそう思えるかもしれない。

 

だが彼らだってきっと、最初は他の人と同じような、小さな憧れから何かをスタートさせた。

 

 

そうして努力を重ねて理想に近づいた時、あとから振り返ってみて初めて、他人が納得するような行動の動機が形成されていたことになるのではないだろうか。

 

だから誰もが頷くような筋の通ったストーリー、行動の動機なんてものは後付けで構わないとおれは思っている。

 

今成し遂げたいものが確かにあって、それに向かって行動ができているのなら、着実に目標に向けて進んでいることは疑いようのない事実だからだ。

 

 

おれの場合は、ハッキリしない漠然とした憧れで米国臨床留学なんてバカでかい夢を今追いかけている。

なぜ米国で医療を行いたいのか。

そう聞かれれば、米国でしか得られない教育を受け、日本よりリードしている救急領域で最新の知見を手に入れたいからだと、それらしい理由をこしらえることは可能だ。

 

けど本心はそうじゃない。

ただ広い世界に憧れているから、もっとすごいやつらと肩を並べて戦いたいから、自分の国際的な競争能力を高めたいから。

そんなチープで曖昧な理由しか出てこない。

 

だがそれを実現させるために、日々思考を凝らし、試行錯誤を重ね、毎日努力していることは事実だ。

それだけは揺るがないから、崇高な目的がなくても、他人に理由が曖昧だと言われようが、おれは今の歩みを止めたくない。

 

目指すゴールに向けて歩みを進めていけば、今まで積み重ねてきたものがもっともらしい理由を作っていくのだと、そう思っている。

 

だから今はそう信じて、とにかく突き進むしかない。

 

 

 

何かを成し遂げるために、崇高な目的は必要なのか。

 

目標に向けて継続した努力を続けることができるなら、それだけの強い気持ちがあるのであれば、そんなものいらない。

 

これが今のおれの答えだ。